休職も意外と楽じゃない。適応障害で仕事を休んでみて感じた精神的負担

ぼくが適応障害を発症し、仕事を休み始めてから、早3ヶ月が経過しました。

職場に診断書を提出して休職を申し出た当初は、

ぼく

明日から仕事に行かなくていいんだー!

といった具合に、ひたすら開放的な気持ちを噛みしめていたのを覚えています。
あとは自宅でゆっくりとメンタルを回復させてあげれば良いんだ、と。

しかし実際の休職生活というのは、ぼくが思っていたほど心穏やかに過ごせるものではありませんでした。

休職中には休職中なりの苦悩が新しく湧いて出てくるものなんですね。
ボロボロになりながら出勤していたときとは、また別のベクトルの苦しみがあります。

一度崩れた体調を完全に回復させるのは、なかなか難しいのです…。

今回は、ぼくが「これは休職者の宿命だな」と感じたお悩みポイントをまとめてみようと思います。

休職中につきまとう悩みのタネ

ぼくは休職期間中、ちょいちょい抑うつ状態を繰り返しています。
ひたすらネガティブ思考を抱えて、何もできずに1日が終わってしまうような状態です。

そんな抑うつの根底にはいつも、次のような悩みのタネがあるように感じます。

  • 自分の存在意義を見失いがち
  • いちいち罪悪感を感じてしまう
  • 早期回復への焦りがある

いずれも休職を続ける限りはなかなか逃れることのできない、宿命ともいえる悩みです。

自分の存在意義を見失いがち

休職中は社会との関りが極端に少なくなります。
その中で、ときおり自分の存在意義の無さに打ちひしがれることがあります。

社会は毎日めまぐるしく動き続けているのに、自分だけが取り残されて立ち止まっているような感じ。
バイト初日の飲食店でピークタイムにあたったときのような、あの情けない無力感。

ともすれば、自己肯定感がどんどん下がっていってしまいます。

きっとぼくたちは普段仕事をしている中で「自分は社会の構成員のひとりなんだ」という感覚を無意識に享受していて、それがいつの間にか自分のアイデンティティを形作る大きな支柱になっているのではないでしょうか。
そんな支柱が日常から突然消え去ったときの自我へのインパクトは、意外と凄まじいのです。

まあストレスに満ちた社会と関わらなくていいのは、正直楽でもあるんですけどね。
孤独になり過ぎるのも危険ということで、うまくバランスをとっていかなければなりません。

いちいち罪悪感を感じてしまう

また休職者という身分である以上、職場の人たちに対してはどうしても引け目を感じてしまいます。
自分の仕事をすべて周りに肩代わりしてもらいながら、当の自分はのうのうと暮らしていることへの罪悪感です。
この感覚は、日常のあらゆる場面でつきまとってきます。

図書館で本を借りているとき、サウナでリフレッシュしているとき、カフェでコーヒーを飲んでいるとき、などなど。

ぼく

休職してる分際で生意気にこんなことしてていいのか…?

という自虐的な思考が頭をチラついて、いまいち心が落ち着かなかったりします。

正直、ストレスフリーな暮らしを送ることが一番の心の療養になりますので、余計なこと考えず旅行でも何でも好きなことして過ごせばいいと思うんですけどね。
しかし心が弱っているときほど、そうした開き直りが難しい。

特に休日なんかは知人に会う可能性が上がるので、ぼくはちょっとスーパーで野菜を買うだけでも、まるで指名手配犯がごとく周囲の目を気にして歩いていました。

自分の自由と幸福に、自ら制限をかけてしまっているわけです。

早期回復への焦りがある

休職というのは、当然ながら期限付きの立場です。
診断書にも「○月○日までの休職を要する」といった形で、当面のデッドラインが明記されています。

これが結構、精神的にきついんですね。
与えられた猶予の終わりを常に意識しながら日々を過ごすというプレッシャーがあります。

ぼく

来週には休職期間が終わってしまう…

それまでになんとか体調を整えなきゃ…

こういった焦りは皮肉にも、かえって体調を悪化させることにつながります。
理想と現実のギャップがますます広がるだけ。

いっそ期間延長ありきで、焦らずどっしりと構えてしまえば楽なんですけどね。
しかし悲しいかな、メンタルを病んで休職しちゃうような人種というのは、得てしてそのようなたくましさを発揮できないものなのです…。

定期的に職場との事務的なやりとりが発生するというだけでも、気分をどん底まで沈ませるには十分な重圧があります。
休職期間の更新を迎えるたびに、ぼくはいつもプレッシャーに負け、体調は最低水準にまで逆戻りしていました。

とは言っても働いてるよりはマシ

このように、思い切って休職したところでやっぱり悩みのタネは尽きないものです。
しかし、それならいっそ休職しない方がよかったのかというと、いやいや決してそんなことはありません。

適応障害に耐えながら働き続けるよりも、休職して苦しんでいる方が100倍楽です。

自宅は安全圏ですからね。
ひどい抑うつでポンコツになっても、引きこもってれば誰にも迷惑かけないで済みます。

仕事がつらくて仕方なかったら、何はともあれさっさと休む。
結局これでいいのだと思います。

でも休んだからといって、きっと苦しみから完全に解放されるわけじゃないぞ、と。
そこは覚悟しておいた方が後々ギャップに絶望しなくて良いのかもしれません。

一度病んだからには、そう簡単には楽になれない。
だから観念して、この際ゆっくり苦しもうぜ!
今回はそんなお話でした。

ぼくももうちょっとの間、おとなしく苦しんでいようと思います。