年の瀬です。
2023年もあっという間でしたね。
さて、実はわたくし今年の10月頃から、超個人的な取り組みとして 「コーヒー1杯分の電話」 というお悩み相談窓口を始めておりました。
これについてはXの方でちょこちょことポストを投稿しています。
毎度おなじみの、思いつきでとりあえずやってみたシリーズです。
いつまで続けるか、どれくらい需要があるのか、まだそこまであまり考えていないのですが、ビジュアルやWEBサイトなど結構頑張って作ったので、ここでもぜひ紹介させてください。
そして、このサービスを作るに至った背景とか個人的な思いの部分についても、(ほかに語れる場所もないので)ぜひ紹介させてください。
電話サービスの概要
まずこのサービスの概要についてですが、要するに誰でも何でも話せる電話窓口です。
ぼくの個人携帯につながる電話番号を公開しているので、ちょっと誰かに話を聞いてもらいたいとき・息が詰まりそうなときなどに、気軽に電話をかけられる選択肢になればと思っています。
基本情報はこんな感じ。
電話番号 | 5419 1998 ※無料通話アプリSkyPhoneの番号です |
通話時間 | 20分以内程度 |
受付時間 | 7:00~22:00(基本) |
利用料金 | 次の中から自由におまかせ ・ワンコイン送金(PayPay:430円) ・現物で支援(Amazonほしいものリスト:333円~) ・無料で利用(0円) |
電話は 「SkyPhone」 という無料通話アプリを使うため、番号はアプリ内専用の8桁のものになり、匿名性も守られます。
(SkyPhoneのダウンロードは 公式ページ からどうぞ)
サービス名を 「コーヒー1杯分の電話」 としたのは、
いや~最近しんどくてさ…
今度コーヒー1杯おごるから、ちょっと話聞いてよー
いつものドトールでいい?
おお、もちろん!何でも聞くよー
明日の夕方とかどうかな?
といったくらいの温度感の、ゆるくて気軽な個人間のつながりを目指したかったからです。
電話の際は430円(コーヒー1杯分)くらいのご支援があると嬉しいですが、なくてもOK。
電話に出られないこともあるので事前の日時予約をいただけると嬉しいですが、これもなくてもOK。
SkyPhone番号 「5419 1998」 で発信してもらえばいつでも電話がかかりますし、そのときぼくが電話に出られそうなら出ます。
出られなかったら後で空いたときに折り返します。
そんな感じで脱力してやっていきたいと思っています。
ちなみにここ何ヶ月かでコーヒー1杯分の電話のWEBサイト制作をちょこちょこ進めており、先日ようやく公開できました。
ぜひこちらの方もご覧いただけたら幸いです↓
始めようと思った経緯とか
さて、どうしていきなりこんな取り組みを始めようと思ったのかというと、
人間が健康に生きていくために、ラフな支え合いの場が社会に広がっていったらいいよなぁ…
みたいな妄想が膨らんできたからです。
ぼくは以前に適応障害でメンタルをすり減らして以来、
- この苦しい世界でどうしたら人は健康に生きられるのだろう?
- みんながストレスとうまく付き合っていける社会ってどんなものだろう?
みたいなことをやたらと考えまくっていたのですが、そんな思考のひとつの産物が今回のサービスというわけです。
以下、ぼんやりと考えていたことの詳細について。
長々と堅苦しいことを書いてしまっていたらごめんなさい。
世知辛い世の中で
まず前提として、生きていくのってとても大変ですよね。
「ストレス社会」と呼ばれて久しい現代ですが、人々がストレスにやられてどうにもならなくなってしまう傾向は、近年ますます強くなってきている感じがします。
国の統計によると、国民の30人に1人が何らかの精神的疾患を抱えているようです。
(精神科入院or外来患者数 / 総人口)
ぼく自身も数年前、ストレスによる適応障害の発症・休職・退職を経験しましたが、それまで味わったことのない深い絶望感に、自分でもビビりました。
「自分の心と身体がこんなにもコントロールできないものなんだ」 という衝撃が強く印象に残っています。
ぼくは運良く環境に恵まれたおかげで、たまたま死ななかったし、たまたま1年そこらで症状も軽くなっていきました。
しかし一方で、周りには今も絶望の淵に立っている人がたくさんいるわけです。
1年2年なんて単位じゃなく、人生を通して苦しさを抱えている人が大勢います。
そのことを思うと、なんとも心苦しい限りです。
いまやメンタル不調は避けて通れない社会現象。
ぼくたちはこの課題とどう向き合っていけばいいんだろう、と考えずにはいられません。
拠り所の少ない社会で
心のなかに絶望が広がっていく背景として、社会構造の変化の影響は大きいように思います。
構造的にどうしても、メンタル不調の進行に歯止めがかかりにくい環境がある。
というのも、SNS・ソーシャルメディアが普及したり自己完結型の娯楽が増えたりする中で、個人主義的な空気感が明らかに社会全体に浸透していっているからです。
現代ではリアルの人間関係を一切遮断したとしても、ネットを通じて繋がりたい人とだけ繋がっていられます。
文脈を共有する同質化したコミュニティは、たいていの場合は合理的で居心地がよいはずです。
しかし同時に、何かあったときに拠り所をまるごと失ってしまいかねない危うさもまた共存していると思うのです。
何かものすごく心に負担がかかって、メンタルが落ち込んでいるときには、そのコミュニティのムードに合ったいつも通りの振る舞いができなくなるかもしれません。
普段と違うネガティブな空気、ただならぬ雰囲気をもちこんでしまうこともあります。
そんな場面で無条件に受け止めてくれる人がいればいいのですが、
「あーそういう感じなら別のところでやってね」
とバッサリと断ち切られてしまうような淡白さが、昨今の個人主義的なコミュニティにはしばしば内包されているように思います。
良くも悪くもですけどね。
心をケアして健全に保つことが、すっかり個人の責任下に置かれてしまっている。
自分のストレスは、迷惑をかけずに自分で処理しておかなければならない。
処理しきれない不調が出るなら、そのときは医療や専門家にかかるべきである。
そういう「健康かあるいは病気か」という極端なバランスの上に、社会の構成員みんなが立たされているような。
健康な人が少しつまずいて体勢を崩したらもう、あとは絶望の淵までゴロゴロと転がり落ちるだけ、みたいな。
そして落ちきった先の崖下で、医療や福祉や行政サービスが身を挺してそれを受け止めるわけですね。
支援する側もやはりボロボロです。
まだ病んでいない健康な人が住む地上の世界と、死の淵で苦悩する崖下の世界との、悲しい両極化が進んでいるように思えてならないのです。
単に受け皿としての専門家・ケアラーを増やすだけでは、根本的な対処は難しいのだと思います。
健康に生きる方法を探る
「じゃあどうしたらええねん」 という話ですが、やはりまずは医療や専門家にかかる前の段階で、ちょっと体調を崩したときに支えになるような取っかかりを増やしていくような動きが大切なのかなと思います。
健康と病気との間に存在するはずのグラデーションを、もっと厚く広くしていくこと。
地上と崖下の世界を分断する傾斜を少しでも埋めて、緩やかにならしていくこと。
大丈夫な人、ちょっと苦しい人、結構苦しい人、もう限界な人…と、いろんな状態の人が幅広く混在しているはずだけれど、それぞれのフェーズで何か回復につながる心の支えが多様にあるといいですよね。
そしてその心の支えは必ずしも専門家に限らなくて、むしろメインは普通の人と人とのゆるやかな繋がりの中にこそあるんじゃないかと思うのです。
余裕のある人が余裕のない人の話を聞いたり、余裕がなくなってきたらまた別の人に話を聞いてもらったり、そういう相互のメンタルケアが循環するような、日常的な繋がりのあり方を充実させていく必要があるのかなと考えています。
もちろん最終的な相談先としての専門家の役割が重要なのは大前提なのですが、それでも彼らのお世話にならずに済むならそのほうがいいのです。
ちょっとした相談でちょっとした苦しみが都度軽くできるものなら、深く絶望してから治療を受けるよりも楽ですからね。
素人では簡単に対処しきれないケースというのは当然あるにしても。
ということで、健康と病気の谷を埋める小さな点のひとつになるべく、コーヒー1杯分の電話を作ってみたという次第です。
専門知識に基づく”治療”でもなく、公共福祉のための”支援”でもなく、ビジネスとしての”事業”でもない、ただ「一人の友人として話を聞きますよ」というだけの、なんだかよくわからない素人の取り組みでありたいなと思っています。
そういう 「何でもなさ」 がラフな繋がりの選択肢を少しでも広げて、相談することへのハードルが少しでも下がったらいいな、といったことを妄想している今日このごろです。
いち小市民が電話番号を載せただけで、色々と語っちゃってすみません。
まとめ
以上、この度ひっそりと始めた個人的な電話サービス 「コーヒー1杯分の電話」 の紹介と、作るに至った経緯についてでした。
ちなみにこの取り組みについて人に話すと、「誰かのために頑張ってて偉いね」 といった感じのリアクションを貰うこともあるのですが、自分としてはあんまりそういう使命感とか利他の精神で動いている感じではないんですよね。
何かメモ用紙に書きなぐって思考を整理するのと同じで、色々考えている中で思いついたことを、そのままとりあえず形にしてみている感覚です。
そうして手を動かす中でまた自分なりに考えを進めていきたいな、みたいな。
なので今後この電話が自分にとって過度な負担になることがあったり、 「なんか方向性違うな」 と思ったりすれば、コーヒー1杯分の電話は潔く終了することになりそうです。
後者であればまた別の取り組みを唐突にやり始めるかもしれません。
いずれにせよ、この電話のあり方として目指したいのは自己犠牲ではなく、相互ケアです。
そういう意味で、ぼく自身も日頃溜まっていくモヤモヤやちょっとした不調を、積極的にまたほかの誰かに受け止めてもらうようにしていきたいですね。
ぼくが誰かの話を聞いて、誰かに自分の話を聞いてもらって、その誰かもどこかで話を聞いてもらっていて…といった流動的な循環の一部になれたら、これ以上のことはありません。
今回はつらつらと持論を展開してしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。
コーヒー1杯分の電話、ご利用お待ちしていますのでいつでも連絡くださいね。
それからぼくがしんどいときに話を聞いてくれる優しい方もいらっしゃったら、いつでも連絡くださいね。
ではまた、良いお年を。