公務員でも職業を隠さずに言っちゃえばいいと考えていた理由とか

先日、こんな記事を書きました。

公務員は自分の職業を他人に言わない場合が多いこと、それから、なぜみんなが隠したくなるのかという理由の部分について考えています。

上記記事での結論として、むやみに公言すると次のようなリスクがあるよね、というお話になっていました。

  • 勤務先や業務が特定されるリスク
  • しんどいタイプの人に絡まれるリスク(うらやましい系、アンチ公務員系)

これらのリスクを避けるためにも、職業を聞かれても適当にごまかして答える公務員も多いと。

ただぼく個人としては、そうしたリスクも承知のうえで、職業を聞かれたら正直に身分を明かすということを一貫していたんですよね。

公務員の中でも「隠す派」「隠さない派」に分かれるところと思いますが、今回は「隠さない派」だった一人として、なぜ職業を言うようにしていたのか、というところを内省してみたいと思います。

誰にでも全部言っちゃう式

まず公務員時代のぼくのスタンスですが、聞かれたら答える、というシンプルなものでした。

相手 「お仕事は何されてるんですか?」
ぼく 「公務員をやってます」
相手 「へー市役所とかですか?」
ぼく 「いえ、県庁ですねー」
相手 「県庁ってどんなことしてるのか全然イメージわかないです」
ぼく 「自分の場合は〇〇課ってところで、〇〇制度関係とか担当してますよ」
相手 「じゃあ本庁の中ですよね、駅前の」
ぼく 「そうですそうです、本館の2階あがってすぐの部屋を覗いたらぼく座ってますよ」

とこんな感じで、ほぼNGなしの姿勢です。
思い返してて気づきましたが、わりと聞かれてないことまで会話の流れで答えちゃってましたね。

ぼく

もちろん守秘義務にあたることは言わないですよ。

ただこの方針も、ほかの公務員仲間と一緒にいるときにどうしたらいいか、というのは少し難しい部分がありました。

以前、公務員友達と3人で居酒屋のカウンター席で飲んでいる際に、たまたま隣になった知らないお客さんとの会話の流れで「県庁の同期で集まってるんです」みたいなことをぼくが言っちゃったことがあるんですよね。

自分以外の2人は公務員であることを隠したい派だったので、これについては後でチクッと指摘されました。
素性の知れない人間に公務員だとか言わないほうがいいぞ、公務員嫌いも多いから気をつけろよ、と。

とはいえ、一緒にいる人のタイプによって受け答えの方針を変えるなどという器用な対応はぼくには難しかったため、

  • 自分一人のとき:聞かれたら誰にでも何でも答える
  • それ以外のとき:第三者との会話は他の人に任せて、自分は黙る

みたいな作戦でなんやかんや乗り切っていました。

隠さなくていいと思っていた理由

他人に身分を明かすことのリスクを認識していながら、じゃあなんで正直に答える方針を採用していたのかというと、一言でいえば 「隠すより言っちゃったほうが楽だと思うから」 という理由に尽きます。

公務員だと知られることで、職場が特定されたりアンチに絡まれたりするのは確かに面倒くさいのですが、それ以上に身分を隠したままのらりくらりと会話を続けなければならない状況が苦手だったのです。

このあたり、もう少し詳しく書いていきます。

隠しごとを抱えるのは疲れる

これは個人差もあると思いますが、ぼくは人と話すとき何か隠しごとがあると、それだけでめちゃくちゃ疲れます。

ただ会話するだけでも色々と気を使うのに、「あれは言ってはいけない」「これならギリ言える」みたいなことまで考えていては、脳のリソースが足りなくなって何も話せなくなっちゃうんですよね。

まして、職業の話題なんて初対面の人と話すときの最も基本的なトークテーマのひとつなので、これを封じられては自分としても困ってしまいます。

会話の入り口になるような話題なだけに、気持ちよく自己開示して軽快なスタートを切りたいじゃん?という思いがありました。
ぼく自身、あまり自己開示してくれないタイプの人と話すと、どうしても距離を感じてしまって「仲良くなりにくいな」と感じることもありますし。

そういった状況を避けるためにも、自分の身分を明かすことについてはまあ必要経費として許容していたわけです。

ぼく

「会話をスムーズに進めたい」「嫌われたくない」意識の表れと言えそうですね。
その必要があるかどうかというのはまあ置いといて…。

相手の出方を確認できる

それから、さっさと公務員と言ってしまえば相手のスタンスがわかって対応しやすいというのも良いところだと思います。

  • 特に偏見をもっていない人
  • 嫌味っぽく何か言ってくる人
  • いろいろ詮索が激しい人
  • やたらと持ち上げてくる人
  • 露骨に攻撃してくる人

タイプはいろいろですが、こちらも相手の出方にあわせた対応方針をとれます。
公務員という肩書に過剰に反応してくる人とは早めに会話を終わらせて、あまり深く付き合わない、とかも含めてですね。

相手が友好的であっても、敵対的であっても、ぼくとしてはそれがわかるだけで気楽です。

職業を隠していれば面倒な反応をされる機会自体は減りますが、こちらも相手のことを知れないまま、色んな可能性が重なった状態を自分の中で抱えて処理し続けなければならないのが苦しい。

適当に身分をごまかしたまま話が進んでいって、あとから何かの拍子に秘密がバレたら、そのとき相手がアンチ公務員だったら、なかなか悲惨なことになります。
お互い「これまでの時間はなんだったんだよ」となりますが、その責任は身分を隠していた自分の側で引き受けなくてはなりません。

ぼくは友好的な人とはもっと仲良くなりたいし、敵対的な人とは最初からあまり関わりたくないので、そこをはっきりさせる意味でもあまり隠しごとをしたくなかったのです。

相手に委ねるという考え方

まとめると、

  • 隠しごとをしながら人と話すのは、考えることが多くて疲れるから嫌
  • 最初から公務員だと言っちゃえば相手のスタンスもわかって楽になる
  • 気楽に会話したいのでシンプルに「聞かれたら答える」がベスト

という個人的な見解でした。

この方針は言い換えれば、会話の行方を相手に委ねる姿勢とも表現できると思います。

自分の職業を隠し続けることは、トランプの七並べでいうと「6」とか「8」を最初からずっと手札に抱え続けるような状態です。
他者の手札がなんであろうと、すべての可能性をひっくるめて自分が握り潰してしまおうという作戦です。

抱え込むことも有効ではありますが、コントロールのための負担が自分にだけ重くかかりますよね。
負担に耐えきれなくなりそうなら、やはり手持ちのカードを切るしかありません。
そしたらあとは他者にまかせて流れに身を任せるだけでよくなる。

会話においても、こちらが職業を明かしてしまえば、それにどう反応するか(あるいは反応しないか)は相手が考えるべき問題になります。
あとは相手が決めてくれた返答に対してだけ自分の返答を決めればいいので、負担は半分ずつ分け合う形になりますね。

要するに、会話を自分だけがコントロールしようとせずに、半分相手の選択に委ねて身を任せるのもありだよね、という考え方です。
そのほうが楽だから。

そしてぼくとしては、「会話って本来そういうものだよな」とも思うのです。

だから公務員じゃなくなった今でも、だいたいの質問には正直に答える姿勢自体は継続しています。

このあたりは、隠しごとをどれくらい負担に感じるかとか、会話の目的をどう捉えるかという点によっても変わってくると思うので、「正直に答えるべき」or「隠すべき」 のどっちが正しい、みたいなことではないです。

  • 公務員って言わないようにしている人
  • 公務員って迷わず言っちゃう人

どちらの方針にも一理ありますよね!という穏便な結論に着地して終わりたいと思います。