「働き方改革」の旗のもと、長時間労働是正の必要性が声高々に叫ばれるようになって久しく経ちますね。
ぼくは少し前まで某都道府県庁で務めていたのですが、職場でのストレスが原因となって精神を病んでしまい、退職するに至った経緯があります。
ストレスが過剰になると過労死や自殺なんかにもつながるわけで、こうした悲劇を取り除いていくためにも、今こそ働き方改革を社会全体で進めよう、となっているわけですね。
しかしながら、この風潮は必ずしも労働者の負担を減らすものではないとぼくは思っています。
というのも、ぼくがメンタル不調に陥った原因のひとつには、まさにその「働き方改革」があったのです。
今回は働き方改革の負の側面について体験談を交えてお話してみたいと思います。
見せかけの働き方改革
仕事は減らずに時間だけが減る
ぼくが公務員時代に痛感したのは、
実態が伴わない見せかけの働き方改革は、かえって労働者を苦しめるぞ!
ということでした。
ここで「見せかけの働き方改革」というのは、業務内容や人員の改善が不十分なまま、数字(残業時間・休暇取得数)の方をなんとか適正に保とうとするような対応のことを指しています。
例えば残業時間なんてものは、シンプルに業務の負荷に起因するので、次のような流れで適正化を図るのが本来であるはずです。
- まず業務量や業務フローを根本的に見直す
- ムダ削減や効率化の結果として、労働者の負担が減る
- 負担が減った結果として、余裕が生まれ残業時間が減る
ところが組織によっては、大事な①,②をすっとばして、
「残業時間をとにかく減らすんだ!」
という態度でいきなり挑んでしまうことがあります。
こうなってしまうと労働者は大変です。
業務の実態はそのままなのに、無理やり残業を減らして休暇を増やせば、必ずどこかにひずみが生じますよね。
- 時間が足りず、仕事が回らなくなる(残業なしを優先した場合)
- こっそりサービス残業で埋め合わせざるを得なくなる(仕事を優先した場合)
- オーバーワークとなり心身の健康を損なってしまう(両方優先した場合)
などなど…。
働き方改革を進めるうえでは、分かりやすい数値目標を追い求めるだけでなく、もっと根本的な、文字通り業務の「改革」を進めていく姿勢が不可欠なわけです。
公務員は改革のハードルが高い
ぼくが身を置いていた公務員の世界でも、働き方改革推進の圧力が年を重ねるごとに強まっていくのを感じられました。
官公庁は働き方改革を率先して進めていくべきお手本的な立場にあるので、とても自然な流れと言えるでしょう。
ところが一方で、公務員というのは、業務内容を根本的に見直すのがなかなか難しい事情を抱えているように思います。
その事情というのは、主に2つの理由からなります。
1. 何かと自由がきかない
ひとつは、公務員の仕事は法律や条例規則に縛られていることが多く、業務の見直しが自由にできないというものです。
どう考えても苦労の割にメリットが薄すぎるような業務でも、法令の定めがあるならば、もはや仕方なし。
やらなければ法令違反になってしまうので、どれだけくだらないと感じられてもとりあえずは続けるしかないのです。
(これを変えようと思うと議会の承認が必要となるなど、なかなか高いハードルがあります。)
それに加えて、利害関係者への忖度(そんたく)の問題も悩ましいところです。
事業を見直すとか廃止するとなれば、多くの場合、ヒト・モノ・カネの面で周囲の民間団体にも何らかの影響を及ぼします。
公務員という組織の性質上、誰かの不利益になるような意思決定にはどうしても慎重にならざるを得ません。
こういった面で、業務の改革といってもかなり不自由な、制限付きのものとなってしまいがちです。
2. 部署が細分化されている
もうひとつは、組織編制上の理由です。
いわゆる「縦割り行政」というやつで、官公庁の職務分担は徹底して細分化されている傾向にあり、これが業務見直しのハードルを上げています。
自治体にもよりますが、ぼくのいた都道府県庁では職員1人1人が全く個別の担当分野を持っており、同じ課にいても隣の係の仕事内容はほとんど知らないし、同じ係の隣の人の仕事さえイマイチ分からない、ということはザラでした。
それくらい取り扱う業務の範囲が広く、きっちり分けないとさばききれない、ということですね。
同じ理由で、上司は部下の業務内容を細部までは把握していません。
重要な案件だけを上にあげ、中でもとりわけ重要なものだけをさらに上にあげ、という典型的なピラミッド型組織です。
そういうわけで、「業務をどう改善したら楽になるか」が分かるのは、それぞれ末端にいる担当者1人だけ、という状態になるわけです。
つまり、なかなか組織全体を挙げての大改革にはなりにくい。
まして、業務の見直しをしよう!と訴えるのは、その現場からは遠く離れた「働き方改革の担当部署」なので、個別具体的な提案ができるはずもなく…。
このようにして、根本的な業務の見直しは一向に進まない中で、組織の立場上働き方改革の成果はしっかり上げなければならないので、
「いいからとにかく残業はダメ!有給は最低5日以上取得だ!」
というパワープレイ、「見せかけの働き方改革」へとどうしても流れていってしまうんですね。
働き方改革でストレスが増える
そんなこんなで、ぼくが体調を崩すこととなった公務員ラストイヤーも、ことさら残業には厳しい風潮の中にありました。
- 残業をする場合は、あらかじめ残業時間&残業が必要な理由を上司に申告して承認を得ないとダメ
- 基本的に22:00以降まで残業するのはダメ
- 月あたり60時間を超えて残業するのはダメ
異動したてで慣れない中、こうした制約のうえで業務をこなすのにはとってもストレスがかかりました。
ゆとりをもって仕事ができない
やることが膨大にあるのに働ける時間に上限が設けられていると、
「このままじゃタスクが終わらない!」
という不安に常にさらされながら働くことになります。
同僚とのコミュニケーションや休憩時間すら惜しく、とにかく仕事を間に合わせたい一心で全力疾走を続けなければなりません。
限られた時間で最大の業務量をこなせるのは良いことだ、という声もあるかもしれませんが、よほどタフでないと長続きしないでしょう。
仕事にゆとりがないというのは、労働者にとっては本当にしんどいものです。
また余裕がなければ、業務上の問題点として、
- 長期的なタスク(緊急ではないが重要なもの)が無視されやすい
- 今後のための業務効率化の工夫がなかなか進まない
といったことも生じ、これにより後々の労働者自身がさらに苦しむことにもつながってしまいます。
ぼくとしては、計画的に仕事を進められていない感覚がとってもストレスでした。
ただ目の前の仕事をこなすのに精いっぱいで、大事なタスクを見落としているんじゃないかという不安。
しかしそんなことを考えているヒマはなく、とりあえず目の前のことをしないと今日を乗り切れない…と、そんな感じでしたね。
周りに迷惑をかけるのもつらい
そんな中、本当に手に負えない場合には上司の協力のもと他の係員に仕事を一部分配してもらったりするのですが、これも精神的にはとても大きな負荷がかかりました。
縦割り行政なので、もともと「みんなの仕事をみんなで分け合っている」というよりも、「各々が自分の担当分野を明確に持っていて、その分野のことはその人がやるべき」という感覚なんですよね。
ぼくはそんな分担の境界を越えてまで周りに仕事を振るのが、ものすごく苦手だったのです。
自分が無能なせいで、本来自分がすべき仕事を周りに肩代わりさせてしまっている…
こういった自責の念は、残業よりも苦しいものでした。
しかも、人に仕事を振るのって、単純にそれ自体が結構大変なんですよね。
- 振らなければならない業務の洗い出し
- 依頼相手への業務内容の説明
- 遂行するのに必要な資料等の準備
などなど、これらをまとめるのに時間がかかります。
さらに言えば、そうした事前調査こそが一番の難所だったりするわけで、方向性が見えた時点でそれはもう自分でやった方が早い、ということも多々あるのです。
このあたりを首尾よくこなせるかどうかは、一種の才能によるものだと思っています。
一人で抱え込まず、上手に周囲をまきこんでいける特殊能力。
その点に関して、ぼくはまったくもって向いていなかったのでした。
帰宅後も気が休まらない
仕事は全然終わらないし、周りに振る余裕もない。
でも何とかしなければならない。
ということで、ぼくは業務時間外の生活までも、仕事に支配されることとなりました。
形式的には残業は22:00で切り上げて帰宅するものの、寝ている時間以外は常に仕事の段取りのことを考えたり、一部資料を持ち帰って家でできるような仕事に取り組んだりしていました。
休日もまたしかり。
要するにサービス残業漬けの生活です。
働き方改革の本来の趣旨とは真逆の方向に進んでしまったわけです。
気の休まる時間がない生活は、結局はぼくがメンタルを病んで休職することで終わりを迎えました。
(残業できなかったことが唯一の原因、というわけではないですけどね。)
本当なら、こんな働き方は断固として避けるべきで、もっと上司や同僚の協力を積極的に仰ぐことで自分が楽になる努力をすべきだったのだと思います。
しかしそれがどうしてもできませんでした。
ぼくが取りうる選択肢の中で、「自己犠牲によってなんとか仕事を回す」ことが自分にとって一番楽な方法だったんですよね。
思うに、同じように極限まで抱え込むタイプの人間というのは、世の中には数えきれないほどいるはずです。
そしてそういう人々のメンタルを崩壊させてしまいかねないという点において、「働き方改革」はときに諸刃の剣的な危うさをもっている、とぼくは実感した次第です。
働き方改革と共に生きる
以上まとめると、
業務改革が進んでいないのに残業時間や休暇取得数の基準を厳格化するばかりでは、労働者への負担はかえって増えてしまう。
特に分業がきっちりした組織では、一人で抱え込むタイプの労働者がオーバーワークとなり、ストレスで身体を壊してしまう。
といったお話でした。
まあなんやかんや言ったところで、現代社会における働き方改革の波は止まりません。
見せかけの働き方改革は今後もあちこちで散見されるでしょうし、一方で、それが間違っているとも言い切れないでしょう。
まず目標値を決めることが、根本的な業務改善のための動因になるという側面もありますからね。
働くうえで大切なのは、働き方改革の圧力が高まっている潮流の中で自分がどのようなスタンスを取るか、という心がけや方針のほうだと思います。
まずは、自分は負荷がかかった時に周囲をまきこんで負荷を軽減できる状態にあるのか、あるいは自分だけで抱え込んでしまうような状態にあるのかを認識しておくこと。
後者の場合は、時間が足りずに仕事が回らなくても「自分が無能なせいだ」という意識にとらわれ過ぎないように心がけておくこと。
個人の能力よりむしろ、業務量と労働時間が釣り合っていないなど、構造的・組織的な問題が根深く存在するようなケースも往々にしてあるわけです。
心身の健康を守るという意味では、
「働き方改革のためになんとか頑張って短時間で業務を回さなきゃ!」
と躍起になるのは得策ではありません。
いっそ場合によっては、
「何が働き方改革だよ、知らねえよ」
くらいの図太い意気込みを心に備えておく方が大事なのかもしれません。
働き方改革の目的はあくまで健全な労働環境と快適な生活なのであって、残業時間はその指標のひとつにすぎないはずです。
本末転倒にならないよう、十分に気を付けておく必要があります。